8月8日に開催したべアベル・ヘーンさんのトークイベントの講演録です。
当日の様子は↓↓↓をご覧ください。
http://site.greens.gr.jp/article/47296154.html

ベアベル・ヘーンさん
90連合/緑の党 連邦議会議員(2005〜現在)会派副代表
再生可能エネルギー、原発、気候変動、消費者保護などを中心テーマとして活動
1952.5.4生まれ
ノルトライン = ヴェストファーレン州議会議員(1990〜1995)、同環境大臣(1995〜2005)
http://www.baerbel-hoehn.de/
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さあ!緑の党を国会に! ドイツに学ぶ緑の党と脱原発
■ ドイツ緑の党はどのように生まれたのか 〜1968年世代〜
日本で一番受けた質問はドイツで緑の党はこんなに支持を集めたのか。そのためには、どのようにして緑の党が誕生したのかの源を語らなければならない。
ドイツでも1968年学生運動が盛り上がった。社会の既存の枠組みに大きな不満を抱いていたからだ。その後も脱原発運動、フェミニズム運動、平和運動などが様々に出てきた。そのような理想・ビジョンを持った人たちが様々な考えを持った人たちがひとつに結集してきて、テーマを一緒に扱おうとした。修士、博士の知識人もそこに加わってきた。
なぜそこまで政治参加しようとしたのか。既存の政治が硬直化して、社会が良くなることを求めるのではなく、地球が破壊されていこうというのに、自分たちの政党・個人の利益を求めていたから。私たちが当時感銘を受けた本が『成長の限界』。当時のアフリカ全体の自動車台数よりドイツ一州の自動車台数のほうが多いということはあえない。
70年代末に結成に向かった緑の党には四つの柱があった。エコロジー、社会的公正、平和、草の根民主主義。
■ 街でデモをしていた女性が環境大臣になった
私は最初党員にならずに活動していた。当時の緑の党は党に反対する党だった。私自身は個人で組織の歯車にはなりたくないという感覚をもっていた。
では、なぜ党に入って選挙に出たのか。当時、二人の幼い息子がいてルール工業地帯に住んでいた。息子の一人が喘息になった。母親の一人として行政に不満があり、母親たちと変えようとした。幼稚園のグループで話をしていた他の子どもも苦しんでいたのに、環境規制はゆるかった。
そして、環境基準や幼稚園を変えることができた。市民団体で市議会に議員を送らなければならないということで、私が第一号として市議会に入れといわれた。やっているうちに考えが近い緑の党の党員になった。
産業廃棄物の問題は焼却の前にごみ発生の抑制・回避が大事だ。そしてノルトライン・ヴェストファーレン州の廃棄物政策を変えさせないといけないと州議員になり、会派代表となった。ダイオキシン基準は厳しくなり、全ての焼却場にフィルターが取り付けられた。
緑の党は順調に得票して、最初の2倍の議席を獲得するようになった。社民党は勢力を落とし、緑の党と連立を組まざるを得なくなった。街でデモをしていた女性だった自分が環境大臣になった。政治家としてのキャリアをめざしていたら、社民党に入ったと思う。緑の党の仲間にはそういう人が多い。
■ 原発に反対していたのは緑の党だけだった
フクシマの後の6月初旬、ドイツでは脱原発が最終的に決定された。連邦議会で513票対79票で決定された。反対票の多くは2022年では遅すぎるという票だった。ドイツの全16州政府も賛成した。
決定では福島事故の後、停止した8機は廃炉。残りの9機は22年までに一機ずつ廃炉にする。私たち緑の党は最初から脱原発を主張してきた。「現実を知らない馬鹿者たち」と言われてきた。だから、ビジョンを持っていること、ビジョンに反対されることは当たり前と思う。これを社会の中心勢力にしようという心構えが必要。
1980年の緑の党の結成当時、核の軍事利用も民間利用も反対と明確に打ち出したのは緑の党だけだった。当時の電力会社は「安い、クリーン、安全」と原子力一本やり。既成政党はそれを支持していた。
変わったのがチェルノブイリ事故。当時、息子は8歳と9歳。放射能の雲がヨーロッパを覆っていたことが、後になって分かった。突然、葉物、サラダ、キノコを食べないように、子どもを戸外に出さないようにと言われた。なぜ最初から伝えられないのかと憤った。今でも、イノシシ・キノコの食用が禁止されている地域がある。既存政党では社民党が原発はやめるべき、キリスト教民主同盟はソ連だから起きた事故でドイツでは起きないと主張した。
1998年連邦レベルで初めて、社会民主党と緑の党の連立政権が発足。2002年に脱原発ロードマップが決定された。そして、三つの原発が廃炉になったが、保守勢力の反対が盛り上がり、2010年秋、脱原発に12年の猶予を与える脱・脱原発の政策を決めた。大きなデモがあったがそれを押し切った。
そして、3月11日に事態が一気に変わった。日本で起きるのならば、世界のどこで起きてもおかしくないという主張が主流になった。バーテンビュルデンブルグ州では保守が政権を失い、緑の党が初の州首相を出した。メルケル首相が、脱原発に転換しなければ自分の政権の猶予がなくなると考えたと見ている。原発はドイツの電力需要の10%に当たるが止めて何の問題もなかった。
2002年、脱原発と再生エネルギー推進を同時に決めた。30%だった原発依存度は福島の前で22%に落ちていた。自然エネルギーは17%まで伸びていた。自然エネルギー法では全量買取を積極的に打ち出し、電力会社が握っていた発電を取り返し、市民の手に渡した。
■ 原発に反対する第4の理由
昔からの反対理由としては、原発には100%の安全はない。数10年の発電の後、100万年世話をしなければならない、軍事利用と民間利用の間に境がない。そして、第四の反対理由を見つけた。原子力は経済の足かせとなり、労働市場を拡大するものではない。
自然エネルギーを推進するドイツでは400億ユーロの投資が行われたが、フランスではこの分野で40億ユーロの投資しか行われていない。ドイツは自然エネルギーの雇用は40万人。3万人の原子力の13倍の労働市場を発生させている。緑の主張を共有しないマッケンジーも、今後5年間でドイツの自然エネルギー産業が原子力エネルギーを追い越すという予測を出している。原子力と自然エネルギーは二者択一。自然エネルギーへのつなぎ技術は原子力ではなく、ガス火力発電。ドイツは脱原子力で雇用創出の方向を選んだ。脱原発はおかしな考えと言われたが、雇用を生む良い考えだと評価されている。
■ ドイツでも・・・抵抗する四大電力会社
だが、気を抜いてはいけない。電力会社はドイツでも強力。四大電力会社がドイツを占領している。2002年に60億ユーロの利益を上げていた四大電力会社は、2010年に利益を300億ユーロに伸ばした。原発は金を生む機械。ギリギリまで諦めない。
出てくる反対論の一つは、脱原発による電力代の高騰。研究では、脱原発で電力料金は10年で5%上がる。現在、四大電力会社は自由に値上げでき、去年7%の値上げを行った。電力会社は原子力で40%の利益率を上げていた。
第二の理由は温暖化対策。ドイツは1990年起点で2020年40%削減の目標を下ろしてない。自然エネルギー拡大と効率化で達成する。
緑の党は社会の大きな潮流になった。それが自然エネルギーを求め、脱原発へつながった。そして、今後も絶対に気を抜いてはいけない。最後の原発が廃炉になる直前の2020年から21年には総選挙が予定されており、気をつけないといけない。
■ 緑の党はどのような人々に支持されているのか
緑の党・90年連合の支持率は去年から上昇し、最新は22%。夢のような数字だ。
1968年世代が緑の党を支えてきて、若者の支持は伝統的に高い。現在、緑の党に一番共感しているのは25歳から45歳の女性・母親。そして、18歳から25歳の層。次に支持しているのは45歳から60歳。緑の党は高齢者からは拒否され、かつては高齢者の支持率が男性1%、女性2%だったが、68年世代も高齢化してきた。
ドイツでは候補者に有名人・文化人を使ったことはない。緑の党でもペトラ・ケリー、フィッシャーのようなメディアのスターがいたが、私たちが求めたのではない。緑の党が言っていることは面白かったから、メディアは取り上げざるを得なかった。68年の影響を直接間接に受けた人たちが教師やメディアの仕事について、緑の党を支持した。
68年世代の動きがドイツ社会の大きなポイント。当時の若者が父親世代の生き方を厳しく問いかけた。それがドイツ社会に大きく影響している。それまでの社会を一度根本的に疑った。それが非常に大事だ。若い世代もどうすることが正しいのか常に問いかけなければならなかった。
そのような緑の党がドイツを開放的な社会にした。東独出身の女性が首相になれたのも、同性愛の男性が大臣になったのも、そういう社会だから。緑の党がドイツの社会をラディカルに変えようとしてきたことが広がって、保守の人の生き方も変えてきた。
若い時は挑戦的で大胆ではあったが、大臣ポストは取った。私たちもおとなしくなって良い妥協はしようというところもあるが、そのようなラディカルな過去を持ちつつ、未来を見つめつつ、ものの道理も解っているという状態が、ドイツで高い支持を集めているのではないか。ここ15年、教養のある若い人たちが、社民党に行かないで、緑の党に入ってきた。
■ 緑の党は理念の党であって国民党ではない
今の20数%の高い支持率がいつまでも続くとは思っていない。20%を切っていいと思っている。緑の党はコンセプト(基本理念)の党であって国民党ではない。私たち緑の党は信頼感で支持を獲得してきた。メルケル首相のような風見鶏のようなことはしない。ドイツの国民は自分たちのコンセプトを保ち続ける緑の党を信頼してきてくれた。ここのところを守っていきたい。
環境破壊への対策を緑の党は出してきた。いま金融街で自分たちの利益だけを求める人たちが世界を壊そうとしている。この人たちを抑える対策を緑の党は出すべきだ。
(講演・質疑応答から再構成。会員のSさんがテープ起こしをしてくださいました)