足立力也/みどりの未来運営委員
今回の情報漏えい事件に関して、さまざまな論評が飛び交っていますが、民主主義の根幹にかかわる論点があまり議論されていないように思います。
以下、その点にのみ絞って個人的見解を述べます。
公務員とは行政官です。
行政官とは、立法府の決定の範囲内において行動すべきものです。
立法府とはすなわち政治の分野であり(狭義において)、行政官が政治的判断で動くのは禁忌です。
軍人が政治的判断で動いてはならないのと同様です(ことの重大性には差がありますが)。
情報公開一般についての異論を唱えているわけではありません。
情報公開は正式な手続きに則ってなされるべきであり、行政官が政治的影響の非常に強い行動をしてはならない、というところを問題視しているわけです。
今回の漏洩問題に限って言えば、最も問われるべきなのはこの点です。
民主主義という観点からすれば。公開すべきかどうかというのは政治的議論の範疇ですが、行政官が政治的に強い影響を与える行動をすべきではないというのは、政治以前の、民主主義システム論の問題です。
いいことなんだから許されるという前例には決してしてはならないし、なってはなりません。
それは民主主義の否定にもつながってしまいます。
情報漏洩者が責められるべきは、国家機密を暴露したとか、国益を損なったという点においてではありません。
近代民主主義システムの根幹を揺るがしたという点です。
情報管理を徹底しろと主張しているわけではありません。
可能な限り多くの情報を公開する手続きを決める法的整備が必要だということです。
それと今回の漏洩行動の評価は別の判断基準が働きます。
漏洩者は、今回のケースにおいては民主主義システムの根幹を揺るがしたものとして扱われるべきですし、民主党政権には情報公開のプロセスを整備することを求めるのが筋でしょう。
この2つは決して混同してはいけません。
どの情報が秘密かどうかは、良かれ悪しかれ、結局政治が判断します。
公務員としてそれがおかしいというのであれば、合法的範囲内において行動すべきです。
国内明文法を上回る倫理的・人道的理由など、よほど特別のことがない限り、許されるものではありません。
よほど特別なこととは、例えば杉原千畝事件のような人命に関わるようなことや重大な人権侵害、環境破壊などです。
今回のケースがそれにあたるとは思えません。
国民の知る権利を主張する際に今回の漏洩事件を引き合いに出すのは、筋違いと言うべきでしょう。
知る権利は知る権利で制度論として真っ向から議論すべきであり、近代民主主義システムの根幹や常識はそれとしてきちんと認識する必要があると思います。
私(足立)個人は、今回のビデオは早期に公開すべきだったという意見ですが、上記の理由で、今回のような行動は許されざるべきことであると考えます。