2010年2月16日 みどりの未来・運営委員会
■民主党の「地域主権」論議の危うさ昨年末から今年にかけて、「地域主権戦略室」の発足(11/17)と第1回「地域主権戦略会議」(12/14)、そして総務省に設置された「地方行財政検討会議」(1/20)など、「地域主権」に関わる議論が動き出しています。
「地域主権戦略会議」では、原口一博・総務大臣兼内閣府特命担当大臣から工程表(「原口プラン」)が示されました。今年の国会会期中に義務づけや枠付けを見直す「地域主権一括法案(第一次)」、2011年度にひも付き補助金を廃止する一括交付金制度を盛り込んだ「地域主権一括法案(第二次)」を提案し、最終的には自治法改正も視野に入れた「地方政府基本法」の制定をスケジュールに入れています。一方、「地方行財政検討会議」ではさらに踏み込んで議員内閣制にまで言及しています。
こうした考え方は、地域の市民自治を基本とした参加型民主主義を掲げる私たちの問題意識につながるものもあります。しかし、現在議論されている「地域主権」や「地方政府」には、大きな問題点があることを指摘しなければなりません。
■具体化の道筋は不明、本質議論は不十分
「地方行財政検討会議」は、マスコミにも大きく注目されました。しかし、パフォーマンスが先行し、実質的な議論は進んでいません。また、この会議は総務省内に留まっており、内閣府の「地域主権戦略会議」との関係も不明です。
一方、「地域主権戦略室」の議論は、前政権下で発足した地方分権改革推進委員会が出した答申に基づいています。同委員会の第三次勧告では「義務づけ・枠付けの見直し、条例化」と「地方と国の協議の場」が明言され、鳩山政権で答申を受けた第四次勧告ではさらに踏み込んで、「地方交付税交付金」「地方税制改革」など、税源移譲を含む地方財政に係る大きな点について勧告しています。しかし、今国会に提案されるのはこのうち第三次勧告までで、その中でも「義務付け・枠付けの見直し」だけに留まる予定です。他の重要な論点はこれからどう議論されて具体化されるのか、見えてきません。
また、104条項にわたって「義務づけ・枠付けの見直し」がされるとのことですが、本来、「地方」と「国」の役割についてのきちんとした議論がその前提として必要であるにも関わらず、これが決定的に不足しているのが現状です。そして、この「義務づけ・枠付け」の撤廃が「規制緩和」的な流れを強化し、生活の最も基本的な部分に関わる公共サービス(ナショナルミニマム)や福祉・環境の劣化をもたらすものにならないかについても、注意が必要です。
■本当に市民のための地方分権が進むのか?
「地方政府」の基盤として、従来より大きな権限や財源が自治体にとって必要不可欠であることは言うまでもありません。しかしそれは、地域の個性と多様性を重視し、市民生活優先の豊かな社会の実現を図り、市民ニーズに対応できる自治体の制度や枠組み、そのための住民自治や市民主権の充実と一体のものとして語られるべきです。また、国のひも付き補助金や無責任な交付税措置体系の中で漫然と施策を行なってきた依存型・受動的な自治体政策のあり方から、自律・自立的な政策能力の向上・充実も求められるはずです。国家がこれまでおこなってきた大規模開発事業優先政策が単に自治体に移っただけの「地域主権」は、私たちの求めるものではありません。
ところが、知事会や地方六団体の代表は税源移譲の額の増大のみを言い立て、参議院選挙を控えた民主党もその意を汲み取り、鳩山政権も2010(平成22)年度に向けて無理な背伸びをした地方財政計画を作成しています。この一連の流れの中に、「市民」や「住民」の視点は置き去りにされているように見えます。現在議論されている「地域主権」は、中央の権力者に対して地方の権力者が「権限と財源の分配を」と要求している構図に留まっているようにしか見えません。これでは本当に市民のための分権議論が進むのか、疑問です。
■「市民主権」を基礎とした地方のあり方こそ重要
地方への権限委譲や「地域主権」の議論は、あらゆる行政の決定権を主権者である住民に近づける−「市民主権」「住民自治」の立場からから出発しなければなりません。住民自らが地域を治め、住民に最も身近な基礎自治体が行政の第一義的な仕事と責任を担い、基礎自治体ができないことは広域自治体、広域自治体ができないことを国家が担うという、「補完性の原則」を基本とすべきです。
私たちは、「地方分権」「地方政府」の議論が、「市民主権」を基礎におく地域の自治・自立につながるものとなることを強く求めるとともに、そうした観点から今後も積極的に提言していきます。