2009年7月16日 みどりの未来・論説チーム
近年、自治体における地球温暖化対策が注目を集めている。国が電力や鉄鋼等の産業界の意向に配慮するあまり、大胆な地球温暖化対策に消極的であることに対し、一部の自治体が率先して地球温暖化対策に取り組もうとしているからだろう。たとえば、東京都は国内初となる排出量取引制度を、2010年から導入することを決定した。それと併せて、再生可能エネルギーを普及させるための仕組みも設けた。これらにより、東京都では事業者の大幅な省エネルギーとともに、再生可能エネルギーの設置が飛躍的に進むと考えられている。
また、横浜市や北九州市、京都市等のように、国から「環境モデル都市」に指定された自治体では、国の温室効果ガス削減の中期目標よりも大胆な中期目標を掲げ、全庁を挙げて地球温暖化対策を進めている。
こうした自治体の動きや意欲は、大いに歓迎したい。かつて公害が激しい時代には、各地で革新自治体が生まれ、環境政策をリードしていった。国が不甲斐ないということでは、ある意味残念なことでもあるが、自治体こそが環境政策のけん引車なのである。
しかしながら、地球温暖化対策は歴史の浅い政策領域であるため、各自治体の取組には混乱も見られる。たとえば、東京都は排出量取引制度という先進的な政策と、外環道や圏央道の建設という自動車利用を促進する、一見すると逆行するような政策を一緒くたに地球温暖化対策としている。これと同様のことは、他の自治体でも大なり小なり共通している。
なぜ、このような政策的な混乱が発生するのであろうか。
最大かつ根源的な原因は、「自治体の地球温暖化対策」の理念について、首長や議会を含む自治体最高幹部レベルで詰められておらず、関係する部局がそれぞれ独自に解釈していることにある。温室効果ガスの削減なのか、あるいは持続可能な都市(地域)の形成なのか。無論、いずれも相互に関係性を有する理念であるが、その微妙な差が政策レベルでの大きな差となって表れる。
道路建設はその最たる例で、温室効果ガス削減見込みの数値が工学的に算出できるため、削減見込みの数値が曖昧な他の地球温暖化対策よりも「科学的」に一定の優位性を持つ。このため、道路建設の正当性が「地球温暖化対策」によってさらに強化されうる。同様のロジックは、原発についても当てはまる。しかし、温室効果ガスの排出さえ抑制できれば、それでいいのだろうか。
地球温暖化対策では、人間社会を存続させるために、化石燃料の消費を長期にわたり削減し続けることが求められている。よって、化石燃料を多量に消費する社会のあり方を変えることが必要なのであり、長期的に見て化石燃料の消費構造を助長したり、他の環境問題を生んだりする政策は、たとえ一時的な効果があるとしても、排されなければならない。つまり、持続可能性の追求が必要である。
この考え方を自治体の地球温暖化対策にあてはめれば、持続可能な都市を形成することになる。温室効果ガス排出の削減量は、自治体にとって「最重要の指標」ではあるものの「目標」ではない。持続可能性を大胆に追求していくために、状況や政策を転換させる「梃子」として捉えられるべきものである。
それでは、持続可能な都市の形成に当たり、自治体は何をすべきなのか。
それは、できる限りエネルギーや資源の消費が抑制されるよう、構造(ハード)と法令(ソフト)の両面において、都市のあり方を再構築することである。具体的にいえば、前者はエネルギー供給システム、交通体系、産業形態、街区、建物等の物理的な都市構造を変化させることであり、後者は排出量取引制度、固定価格買取制度(FIT)、環境税、土地利用規制のように、市民や事業者の行動を転換させる規制や制度、仕組みを整えることである。
なお、その際には、他の環境政策への配慮は当然のことながら、雇用環境(グリーン・グッド・ジョブ)や移動の自由、コミュニティの再生のように、市民の社会的ニーズ、社会の公正さ、市民間の信頼関係等を同時に高めていく観点も欠かせない。都市の持続可能性は、環境と地域社会の両面から求められている課題なのである。
また、持続可能な都市の形成という理念を、自治体経営の最重要目標に位置づけることも必要である。長期構想や中期計画、環境基本計画、都市計画マスタープラン等の行政計画で位置付けを明確にし、部局の縦割りを超えなければ、持続可能な都市を形成することはできない。
そして、基本理念の共有という一見すると遠回りに見えるこの過程こそが、もっとも着実に温室効果ガスの排出抑制につながり、地球温暖化対策として自治体に求められていることなのである。
1)「7/17up」CO2排出量取引に、大きな期待を寄せていると読みとりましたが、ほんとにそれでよいのでしょうか?何をベースにそう判断しているのでしょうか?EUでの例から見ると、一種のマネーゲームになる危険性を含んでいませんか?現在、日本政府が海外(開発途上国)から購入している排出枠(京都議定書によるCDM)をどう捉えていますか?「みどり」の基本理念に反しませんか?
2)「12/1up](原発に頼らず、30%削減は、−−)の見解について
温暖化について”科学的決着がついている”と明言され、”懐疑説”に言及されていますが、IPCC報告(2007年)では、各種の気候変動要因を大型コンピュウターで繰り返し処理し、過去の気温変化について解析ができ、将来の気温変化を予測しているだけと思っていました。それらの変動要因などにつき、”懐疑”が出されおり、参加している気象学者の間では、ある程度のコンセンサスはあるかもしれませんが、何をベースに科学的決着とされているのでしょうか? ご存知のように、今世紀末(今から90年後)の気温予測シナリオとして、6つ公表されており、日本のような経済成長の国では、2.4−6.4度Cの範囲にあると予測されていますが、日本のメディアでは、6.4度が、強調されているとの印象を持っています。また、IPCCが、公式に発表したことではないでしょうが、温暖化の結末として、例えば、南太平洋の島が、海面下になる、ヒマラヤ山脈の氷河が溶け去ってしまうなどと騒がれてきました。前者については、米国の複数の公的観測機関が、その現象は、島の地盤沈下によるものであり、海面の上昇を否定する結果を公表しており、後者については、最近、IPCCの担当科学者が、その間違いを訂正しています。 これらは、気候変動問題の本質を変えるものではないでしょうが、メディアにより、正確な情報の伝達を阻害する悪例と思います。
3)「3/25up」で、原子力発電が「危険なエネルギー」と規定され、民主党に対するみどりの見解の中でも、原子力発電の”否定”が述べられていますが、何をベースにそう判断されたのでしょうか?原子力発電の技術開発を進めている技術者を含め、それに携わっている関係者との議論を尽くした上での結論でしょうか? 日本の政府を含め原子力発電関係者の”今までの”秘密・隠蔽主義”が、安全性確保を含めた原子力発電の技術開発の展開を阻害し、更には、原子力発電の本来の役割が過少評価されてしまう結果になってきたのではないかと、門外漢ですが、危惧しています。 石油の枯渇が、”視界”に入ってきた現在、また、これからの100年を考えた時、原子力発電の寄与をなくしてしまうことは、正当な判断でしょうか? 勿論、太陽熱利用などの石油代替エネルギーの開発を継続することは必要ですが、100年のタイムスパーンで考えた場合の、それら代替エネルギーの限界を明らかにし、正しく認識することも重要と思います。
以上、いろいろ述べましたが、直接ご返事をいただくことを求めておりません、このような意見もあることを、認識していただければ幸甚です。当方が住む地域の「みどり」支援者グループを、サポートしていきますので、念のため。